名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

「今日から俺は!」の相良は、結局「何」ができなかったの?

名作「今日から俺は!」が実写ドラマ化されるのを記念して、以前のブログで書いた記事を再掲します。





相良「俺にはできなかったんだ………」
智司「………俺もまだ、いなかったしなァ」
相良「なんだ、いりゃ助けてくれたのか?」
智司「ハッ、どーかな」
(相良・智司/今日から俺は!38巻)

今日から俺は!」といえば、もう僕みたいな30前半世代にとっては伝説的な漫画で、漫画喫茶に行って特に読む物もない日は、ふらふらと手に取ってしまうことが今でもある。

ギャグ描写に定評があるが、シリアスな作劇的に見ても面白く読める。作者の西森さんは「今日から俺は!」の後に続く「天使な小生意気」「道士郎でござる」「お茶をにごす」「鋼鉄の華っ柱」などの作品で、徐々にドラマ色を強めていく方向に舵を切った(ように見える)んだけど、「今日から俺は!」の時点では、まだギャグとシリアスの比率は8:2ぐらいで結構バランス良い。いや、今がバランス悪いって言ってるわけじゃないんだけど。

そんな「全編に散りばめられたギャグ要素」と「少しのシリアス」という黄金比でサンデーの一時代を築いた「今日から俺は!」だが、その中でも白眉と言えるのが冒頭で引用したシーンだ。

「俺にはできなかったんだ………」とは

策略を使って主人公・三橋をあと一歩のところまで追い詰めた宿敵・相良だったが、既に潰したはずの三橋の相棒・伊藤があらわれ、完膚なきまでにぶちのめされてしまう。倒れたまま自嘲気味に笑う相良の元に、開久の同級生で元・頭の智司が現れる、というシーン。

「放っといてもよかったんだけどよ、あまりにオメーが不憫でよ」
「オオ、そりゃ友情だネ」
「治ったら、何発かイカせてもらうぜ」
(立ち上がった三橋の姿を回想)
「俺にはできなかったんだ………」
「………俺もまだ、いなかったしなァ」
「なんだ、いりゃ助けてくれたのか?」
「ハッ、どーかな」

このシーンの後半、相良の「俺にはできなかった」という台詞の意味が判然とせず、今でもファンの間では語り草になっている(多分)。

相良は一体「何」ができなかったんだろう。

「相良も三橋と同じ目にあった過去を背負っています」説

あり得る一つの解釈としては、相良も今回の三橋と同じ目に遭って大切な人を守れなかったという過去を持っており、そのことを指して

「俺には(あいつを守ることが)できなかったんだ……」
「……俺もまだ(その時にはお前のそばには)、いなかったしなァ」

というもの。

いかにもありそうだけど、作中でその事実が語られていないことや、最後の智司の「ハッ、どーかな」という台詞の意味がわからなくなってしまうことから、個人的にはこの解釈はナシ。

「たった一つ」のコンプレックス

ヒントは、この「相良のリベンジ編」全編にわたって描かれている「相良が持つ、三橋に対するコンプレックス」にあると思う。

わからねーよ。
俺と同じだ、勝つために手段を選ばねェ。
つまらねェ卑怯者じゃねーか。
たった一つ除いてよ。
「なァ、三橋」
(相良/今日から俺は!37巻)

三橋に対する策略の事前準備として、三橋に手助けしそうな人間を一人ずつ潰して回っていく相良。その一人目となった智司を潰した後の独白だ。

ここでいう「たった一つ」とは、言うまでもなく「信頼できる仲間」の存在だ。

相良は最初智司に「三橋を潰す協力」を求め、それを断られたために智司を潰した格好になっている。智司自体は三橋と敵対関係に無いとはいえ、積極的に手助けをするような間柄でもなく、「三橋を手助けする存在」としての優先順位はかなり低い(本来なら中野を真っ先に潰さなければいけなかったと思うんだけど、知らなかったのかな?)。

どうして相良は初めに智司を訪ねたのか。それは、心のどこかで「智司は自分の味方をしてくれるんじゃないか」と期待していたからじゃないか。それが裏切られたからこその、この独白だったんじゃないか。

「信頼できる仲間」がいるかいないか、それが自分と、少なくとも自分と同等である三橋との間にある「大きな差」の要因だと、相良は考えていた。それらを全てはぎ取り策略を弄して三橋を潰した相良はこう叫ぶ。

「そら見ろ、見ろよ、何が無敵だ!! ただのつまんねェ奴だ!! どこにでもいる小僧と変わんねーじゃねーか!!」
「オメーはくだらねェ人間なんだ、俺と大差ねーんだ、わかったかョ!!」
(相良/今日から俺は!38巻)

つまり、相良は三橋が羨ましいんだ。自分とそんなに変わらんクセに、自分に無いもの(楽しい青春、信頼できる仲間などなど)をすべて持っている三橋が羨ましくてたまらない。だから、それらを全て剥ぎ取ってみせた上で、自分より下に三橋を叩き落とそうとした。

みんなが三橋のように生きられる人ばかりじゃない。三橋という光があれば、必ず影が出来る。三橋と伊藤の活躍を傍から眺めるその他大勢の中に、読者の中に、または作者の中に浮かぶ「影」――その「影」を具現化した存在が相良だ。

この辺りの台詞は本当にスゴイ。相良を単なる憎い敵役としてだけでは終わらせずキャラとしての厚みを持たせる、作者の力量だと思う。

「俺にはあんな友達、できなかったんだ」

だから、相良が発したこの台詞、「俺にはできなかった」の意味とは、「俺には(あんなダチ)できなかった」なんじゃないかと思う。自分が三橋に対して持っていた「自分には信頼できる友達がいない」というコンプレックス(劣等感)を認めた、ということだ。

もっと言えば、相良がそういうコンプレックスを持っていたことに、智司も気づいている。だから、全てを見届けた後で相良を見て「不憫だ」という言葉が出た。智司も相良が持つ「寂しさ」を共有しており、だからこそ二人は初めて友達になることが出来た。「まだ俺もいなかった」という言葉は、「もう俺たちは友達だ」の裏返しともとれるからだ。

「いりゃ助けてくれたのか?」と聞く相良を智司は「どうかな」と躱す。「友達」とは、相手の行動を手助けするだけの、単なるビジネスパートナーじゃない。そういう「今日から俺は!」の全体を通じて繰り返し語られてきた「友達のあり方」を、こういう短いやり取りの中で総括している点もスゴイ。

この相良と智司の短いやり取りの中に「今日から俺は!」の全てが詰まっていると言っても過言ではないのだ。

漫画史に残る屈指の名シーンである、と主張したい。


第3回カクヨムWeb小説コンテスト、読者選考期間終了!

昨日、第3回カクヨムWeb小説コンテスト 応募作品のランキング - カクヨムの読者選考期間が終わりました。二か月……長かったっすね。

こちらの有志の方が集計した全期間累計ランキングによると、拙作はホラーミステリー部門146作中13位(10万字達成のみ)ということのようです。


第62話 10万文字以上のランキング - 第3回カクヨムWeb小説コンテスト速報(romuni) - カクヨム

これらも含む結果を運営が総合的に判断し、最終選考に進む作品が発表されるのは3月中とのこと。長いですねー(笑)

まぁ気長に待ちたいと思います。

第3回カクヨムWeb小説コンテストの中間報告

こちらのブログではしばらくご無沙汰してました。ブクマカ活動もしばらく休止中です。

前回の記事(第3回カクヨムWeb小説コンテストに参戦しました - 名前のない日記)で、第3回カクヨムWeb小説コンテストに参加する旨のご報告をしました。

現在は絶賛読者選考期間中なんですが、自作の現状を簡単に説明するとこんな感じです。



■週間ランキング(12月22日現在)

ホラーミステリー部門 6位(169作中)

総合 42位(2096作中)



まずまず上の方にいられてる感じですが、これより上はプロのラノベ作家やシナリオライターもそれなりにいらっしゃるという中々の魔境なので、まぁ、まぁ、という(笑)

初参加なので流れはよくわからないところもありますが、こんな感じで読者の皆様に1月末まで評価していただき、その評価の多寡でKADOKAWAの各小説系レーベル編集部様による選考に進めるか否かが決まる、という感じのようです。

読者選考は、カクヨムのアカウントを持ってる人なら誰でもできますので、ぜひお気軽に評価に参加してくださいな!

アカウント登録はトップページの右上からどうぞ!


カクヨム - 「書ける、読める、伝えられる」新しい小説投稿サイト



あと、自作も一応貼っておきます。

読んでみて、面白かったらでいいので、気軽に応援や星をつけてくださいなー!


ソウル・スイーパーズ(沢本新) - カクヨム

《あらすじ》


魂の突然変異――「獣」を滅する掃除屋(スイーパー)見習い・荒地雄大と、その最強パートナー・姫宮志野が繰り広げるオカルティック・バトルアクション・ミステリー!偶数日21時に更新中!



「事故」で母と妹を失くした少年・荒地雄大(あれちかつひろ)は、父へのわだかまりもあり、地元から遠く離れた大学に入学した。


雄大が大学の部活で出会った先輩・姫宮志野(ひめみやしの)は、『獣(けもの)』と呼ばれる、この世にあらざる化け物退治を生業とする、見習い掃除屋(スイーパー)だった。


強力な『獣』に取り憑かれた雄大は、志野の雇い主・笹谷にその才能を見い出され、志野と同じく「見習い掃除屋(スイーパー)」として働き出すが――




一年前、雄大とその家族に一体何があったのか。


雄大に取り憑いた『獣』の正体とは。


雄大の「夢」と「記憶」の真実とは――

こんな感じです。

読みに来ていただけたらとても嬉しいです!

第3回カクヨムWeb小説コンテストに参戦しました

表題の通りです。

一応、特設ページとか貼っときます。


第3回カクヨムWeb小説コンテスト - カクヨム特設ページ

まあ、色々言いたいことはカクヨムの「近況報告」のページに書いたので、ここで特に言うことはないんですが、一つだけこの場を借りてお願いをば。

この記事を読んだ人の中で、少しでも興味をもってくれた人がいたならば、カクヨムに登録していただき、これらの作品群の応援をしてあげてほしいのです。

面白い作品、結構あります。

Web小説なんて、って思ってると思うけど、意外とあるんですよこれが。まったく注目されてない才能が、いくらでもある。

そういう面白い作品を見つけたら、あなたの手で拾い上げてほしいのです。もちろん、ぼくの作品じゃなくてもいいです。面白い作品をあなたの手でひっぱりあげてやってください。

「応援したい」と思ったらハートで、「紹介したいなあ」と思えば星(レビュー)で。

よろしく頼むぜ。



そんなこんなで、ついでのように自分の作品のページも貼っときます。もちろん登録しなくても読めるので、気が向いたら読みに来てください。

ソウル・スイーパーズ(沢本新) - カクヨム

ではでは。

今年もあと6分の1しか残っていないという現実

戦慄するよね。

ほぼ一か月間ブログには何も書かなかったんだけど、第3回カクヨムWeb小説コンテスト - カクヨム特設ページへの投稿作はぼちぼち進んでいます。レギュレーション上必要な分量に到達するまであと三分の一くらい。でも、完結まではあと五万字くらいは書かなきゃいけないかもなぁ……と現時点では目算しています。

感覚的には、迷いながら書いても一か月かければ五万字くらいは書けるようです。そんなに早い方ではないけど、こんなもんかなあとも思います。

先は長いが、先は見えてきた感じです。

ていうか、あまり前回や前々回の様子をあまり調べずに書き始めたんだけど、このコンテストって、

■ とにかく星(レビュー)を集めないとお話にならない。一般読者に下読みをやらせているようなスタイル。
■ 新作じゃなくてもOK。以前書いたものでもタグさえ貼れば参加作。
■ 完結してなくてもOK。そもそも前回の大賞受賞作ですらまだ完結してないものもある。

みたいな感じらしくて、個人的には「厳しいなぁ……」と思っているところです。

まあ出すと決めたからには出すし、頑張ると決めたからには頑張ります。

カクヨムには掌編を五作のっけてますが、全部合わせても累積PVは50もいってません。

小説(沢本新) - カクヨム

今回参加することで、少しでもPVが増えたらいいなあ、と淡い期待を持ちつつ頑張りたいと思います。

第3回カクヨムWeb小説コンテストに参加することにしました。

というわけで、何が「というわけで」なのかはわかりませんが、第3回カクヨムWeb小説コンテストに参加することにしました。

図書券1,000円分につられて参加意思表明もしちゃう。

まぁカクヨムの方も、前に書いた短編投げただけで何もしてなかったし、まとまったものを書くのに「12月まで」(ではないけど)というのは良い括りかなと。長編書き上げた上でweb連載って一回やってみたかったのでちょうどいい機会になりました。

自分の書くものがWeb小説界隈の時流に乗るものではないのはわかってるので、大した結果も出ないでしょうが、まぁ参加することに意義がある

今全体の10分の1程度の文量ですが、久々に「脳内の8割以上を自作にぶちこむ」状態になってて、ちょっとずつ楽しくなってきました。応募部門は、書き上げてみないとわかりませんが、多分「SF・現代ファンタジー部門」かなぁと思ってます。

目算だと書きあがりは11月中旬以降になりそうなので、それまで更新が滞るかもしれませんが、よしなによろしくお願いします。

手が出ること以外は

少し昔のことを思い出してしまいました。

昔、あるスポーツをやっていた時のことですが、結構いたんですよね。高名な指導者の中にも平気で「鉄拳制裁」する人。その教え子が「人として間違った行動をしたから」とかではなく、単に「競技上でまずい試合の進め方をしたから」とかで。他の人から「お前に負けたあいつ、裏で先生に殴られてたよ」とか聞いたりして。

正直言って、そういうのを見たり聞いたりしても、当時は特になんとも思いませんでした。上に行けば行くほど厳しいのはわかりきっていたし、「そんなもんだろうなぁ」というのが、僕を含めて周囲の受け止め方だったように思います。大きな事件が世を騒がせて以降、世間の目も厳しくなってきた今なら、また違う受け止めになったかもしれませんが。



僕自身も今は、「体罰はいけないこと」、「体罰をしたからといってその競技や技能の向上に意味を持つことはない」ということに異論はありません。

しかし、そういう「体罰は悪」「体罰は百害あって一利なし」が当たり前、常識、正義となった世界で、上記のような「体罰との組み合わせで結果を出してきた指導者」もしくは「それしかできない指導者」は生きていけるか、というとこれは間違いなく「生きていけない」んですよね。

「そんなもん本人の能力不足だろ」と言われりゃその通り、ぐうの音も出ない正論であることは間違いないんですが、そういう人たちに対して、指導者としての処刑執行書にサインをしてしまっていいものだろうか、という逡巡があるのも確かです。まぁこれは僕の意識の甘さなのかもしれませんが。

こういう「時代が進むことによって、その役割に求められる資質への要求が高くなる現象」って色々な分野でも見られます。

指導者であれば、「競技や技術への理解・指導力」にプラスして「体罰によらず、生徒のモチベーション向上や技術の理解を深める言語能力・コミュニケーション能力」を要求されるようになった、ということ。

例えば「結婚」。かつて男性に求められていたのは「一家を養うだけの経済力」オンリーだったけど、今はそれにプラスして「仕事と並行して妻と等分の家事負担をこなせる家事能力、調整力、コミュニケーション能力」が求められるようになった。

例えば、会社の上司。かつてはパワハラまがいのやり方で部下を恫喝し業務を遂行させるオールドタイプの人物は、もはや淘汰の対象。下手をすればどこかの議員のように恫喝音声を公表されて社会的に殺される可能性もゼロとは言えない。

「誰もがより暮らしやすい社会」を実現するためには、その実現を阻害する要素を持つ人間を排除していかないといけない。「体罰のない指導」という「正義」を旗印にして。

結果、「誰もがより暮らしやすい社会」を実現するために、従来よりも高い能力や資質が社会の構成員一人一人に求められるようになっていく。

そういう方向性って本当に正しいのかな、なんて思うことがあります。「より過ごしやすく、より快適に」という正義が要求する水準に、多くの人が応えきれなくなる時がいつか来るんじゃないか。そういう不安が。

「より過ごしやすく、より快適に」は「正義」です。しかし、そういう「正義」がいつか僕ら自身を殺すんじゃないか。そんなことを思ったりもします。



まぁこんなことを書いてますが、僕自身は体罰をするのもされるのも嫌です。そういう指導が有効だと思ったことも、実はありません。

ただ、あの時、僕に負けた彼を殴ったあの先生は、今の時代に「先生」が出来るのだろうか、とか思ったりもします。話したことも実はありましたが、普段は実に人当たりのいい、良い人だったんですよね。手が出ること以外は。

めぐり会える人、会えない人

ようやく「君の名は」を見た。俺はいつも流行に乗り遅れる傾向にある。

奇跡的な二人の出会い、そして別れ。大切な誰かの記憶を失って、それでも忘れられずに東京をさまよう。そこには桜が舞っていて……

ってこれ「秒速」やないか。

やっぱり思っちゃうんですよねぇ。

ご存じの通り「君の名は」は、再び巡り合える。「秒速」は出会えない。

「君の名は」は、相手のことを忘れてしまっている。だけど、心の奥底では忘れていない。記憶がないだけで、相手のことは今も「現在」のど真ん中。だからこそ、瀧は誰とも知れない相手に声をかけられる。

「秒速」は、相手のことを忘れてしまっているわけではない。だけど、相手のことはもう既に「過去」のこと。発酵し腐り落ちそうな思い出を未練たらしく抱え続けても、貴樹にとって彼女はもう「過ぎ去ってしまってもうない」。だから貴樹は、ふとすれ違った「あの人」かもしれない相手に声まではかけられない。

映画として、そこまでに辿ったストーリーは違えど、全く同じシチュエーションを作り出し、全く違う結論を導き出しているんですよね。「秒速」と「君の名は」。相似で、裏返し。

忘れてしまった相手を思い続ける「強さ」。忘れることも出来ずに記憶の底にこびりついた相手を思い続ける「弱さ」。

僕は「強さ」よりも「弱さ」に共感する傾向が強いらしく、どちらが心に残るかと聞かれれば、答えるまでもないって感じなんだけど。それでも、最後に二人を「めぐり合わせた」この決断はすごいな、と思わずにはいられない。

正直言って、会わせない判断は十分アリだったと思うんですよ。色んなギミックを総動員して、精一杯の美しさで彩って、「それぞれに生きていく」、そういう結末を描くことだって出来たはずなんです。 だけど、製作陣はその結末を選ばなかった。最後にあのセリフを二人に呟かせた。

「秒速」では出会えなかった二人が、「君の名は」とつぶやくことで「巡り合えた」。

その結末を描くには、ものすごく腕力と覚悟が必要で、「秒速」から何年経ったかわかんないんですけど、その長い時間の中で、新海監督はその腕力と覚悟を培ってきたんだな、と。「秒速」に感銘を受けた気持ち悪い人間の一人として、それを何か温かいもののように感じてしまうわけです。

誰かの首元にナイフを突きつけるということ

まず大前提として、他人の不倫なんてどうでもいいことである。政治家だろうが、ミュージシャンだろうが、与党だろうが野党だろうが、裏でヘイト貯めてた女性タレントだろうが。

その人たちが不倫しててもなんとも思わないし、不倫していた川谷さんの音楽は、今も昔も素晴らしいので何の問題もない。政治家も同じ。いい仕事をしているのであれば、いち国民としては不倫などどうでもいい些末なことだ。だから、基本的には、不倫の有無に関わらず山尾さんは離党や議員辞職などする必要はないと思う。これが僕の基本姿勢。見てる限りそういう人は結構多い気がする。

にも関わらず、これだけ早く離党を決断されたのは、やはり過去の自分の発言に裁かれたという部分が大きいんじゃないかと思う。

週刊文春で妻子ある男性弁護士との不倫疑惑を報道された民進党山尾志桜里政調会長(43)。昨年2月に出演したテレビ番組で、当時「育休」取得を宣言しながら妻・金子恵美衆院議員(自民)の妊娠中に不倫をしていた宮崎謙介衆院議員(後に辞職)を「無責任」「気が緩んでいる」などとして激しく批判していた。それが今、待機児童問題で頭角を現し、6歳の長男を持つ山尾氏自身に「特大ブーメラン」となって跳ね返っている。


 山尾氏は昨年2月13日のTBS番組で、前日の12日に記者会見で議員辞職の意向を表明した宮崎氏について「(宮崎氏が記者会見で)31回ため息をついたということですけども、こっちがため息つきたいよ、というような気持ち」とコメントした。その上で「やっぱり一番危惧するのは(父親の育休取得の)流れを作ると言って、こんな無責任なことをやって、それが逆流になってしまうのが一番心配です」と語った。


【山尾志桜里氏不倫報道】「ゲス不倫」で議員辞職の宮崎謙介氏に「無責任」「気が緩んでいる」 昨年2月のテレビ発言…特大ブーメランに(1/2ページ) - 産経ニュース

議員の不倫という、基本的には政治家の仕事と関わりのないことについて厳しく追及したことが、回り回って自分の首を締めることになってしまった。

他人の首元にナイフを突き付けようとするなら、いつか同じナイフが自分の首元に突き付けられることも覚悟しないといけない。 他人に対して正義を振りかざすということは、こういうことだ。



これは余談だけど、党派性によって同じ行為についてある人は擁護し、ある人は批判し…ってやってる人やメディアもいるようだけど、そういう人は長期的に一般から信頼を失っていくってことにもっと自覚的になった方がいいと思う。特にメディア。「所詮党派性でしょ?」って思われたらそのメディアはもう死んだも同然だ。誰もまともに話を聞こうとは思わなくなるからだ。

個人のダブスタはまだ許せるよ、少なくとも俺は。人間の好き嫌いはあって当然だし、その党派性がその判断に絡むのはしょうがない場合もあるだろう。まぁそれによって世間から「そういう人なのね」って思われるのはしょうがないと思うけど。

ただ、メディアがそれをするのは駄目だ。自らの商売の根幹である「正しさ」や「正当性」っていう金看板を毀損する行為だからだ。

同じ行為について、批判するなら批判する。擁護するなら擁護する。

自分らの「正義」に一貫性を持てないメディアなんか一体誰が信頼するんだ。「正義」掲げたいなら自分たちの報道に責任くらい持てよ。いい加減に受け手を馬鹿にして見下すのはやめて、自分たちの主張の正当性を保つために必死になってくれよ。じゃなきゃ、今に誰も真面目に話聞いてくれなくなるぞ。

最近悪夢ばかり見ている

お題「最近見た夢」


これなぁ……

先週ぐらいから体調が悪くて、先週末はちょうどそのピークを迎えたぐらいの頃だった。熱は39度から40度くらいを行ったり来たりしていて、ほとんど起き上がれず、焼け付くように喉が痛むせいで眠れず、という悪夢のような三日三晩を過ごした。その三日間は本当にきつくて、今から思うと普通の精神状態ではなかった。身体の状態は精神を大きく左右する。

そんな三日間で、ずっと頭に引っかかり続けた夢がこれだ。

身体の中に病んだ二つの器官がある。仮にAとBとするが、夢現の中で確かに俺は「その二つの器官が病んでいること」、「そのどちらかを優先して直さねばならないこと」を自覚していた。

どちらかを先に直さなければならない、ということは、もう一方は後回し、悪い言い方をすると犠牲にしなければならない。どちらを犠牲にして、どちらかを活かさなければならない。だけど、俺には「どちらが優先して活かさなければならない器官なのか」がわからない。俺は眠りに就こうとするたびにその問題にぶち当たり、答えの出ない問いに悩み続けた。今思い出すだに、どう考えても頭がおかしかった。

しかし、三日目くらいのある晩、ふと天啓に打たれ「そうだ、Bを生かせばいいんだ」と気付きに至った。「Bを生かす」とは具体的にどうすればいいかは今でもさっぱりわからないが、俺は「とりあえずBを生かせばいいんだ、そうすれば俺は救われるんだ、良かった良かった」という心持ちになった。

どういう理屈かはわからないが、その思いつきの数分後に少し咳き込んだ拍子に喉の奥から白く血の混じった膿が出てきて、それ以降発熱もピークを越え、徐々に快方に向かっていった。

あの夜の気づきに何の意味があったのかはわからないが、夢の中にいる無意識の自分は、何か身体の重要な器官との意思疎通を図る能力を持っているのかもしれない、と思ったりもする。何か異常があったら健診行くから早めに意識上の俺に耳打ちしてほしい。



ちなみに昨日は、大学時代の部活の夢で、対して好きでも嫌いでも尊敬もしていなかった先輩から指導を受けている途中で蛇に襲われてムチャクチャになる、という夢を見た。なんか最近悪夢ばかり見ている気がする。