名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

終わるからこそ、また新しく始めることも出来る。

色々あった2016年が終わろうとしている。そんな中で、今年亡くなった母が大好きだったSMAPが26日に終わった。その影響もあるのかもしれないけど、何か色々なものが終わったように感じる一年だったなぁと改めて思う。

SMAPに関しては色々と思う所はあるけど、なぜか俺は「ルパンvs複製人間」のルパンのこの台詞を思い出してしまった。

「感謝しな、マモー。やっと死ねたんだ」

マモーは自分のクローン人間を創り出し、それを何代も何代も繰り返しコピーし続けることによって自身を「永遠の存在」にしようとした怪人だ。コピーに継ぐコピーはやがて遺伝子情報を狂わせ、クローンは粗悪品しか生まなくなってしまっていた。

「永遠の若さなんて、所詮夢なのね」

不二子は言う。

その通り。永遠に続くものなんてない。変わらないものなんてない。だけど、そんなものはないと理性では知りつつもそれを求めてしまう。人間の悲しき性だ。

この映画で、ルパンと次元の有名なやり取りがある。「神」のような力を持つマモーと、たった一人で対決しようとするルパンを止めようとする次元。

「行くなルパン!」
「俺ぁ、夢、盗まれたからな。取り返しにいかにゃ」
「……夢ってのは、女のことか」
「実際クラシックだよ、お前ってやつは」

ここでいうルパンの「夢」を理解するには、二つのシーンを解説する必要がある。

まず一つ。人の深層心理を暴く機械を使って、マモーがルパンの本性を暴こうとしたシーン。ルパンの表層に浮かぶお下劣な欲望を機械が映し出し、いよいよ深層というところで突如モニターが白く点滅し始める。それを見たマモーはこう叫ぶ。

「なんということだ! ルパンは夢を見ない!」

マモーはそれを「神の意識にほかならない」という。

思い浮かべるものは全て現世で実現させるルパンは、夢を見る必要がない。夢見るものは全て叶える男、それがルパンだからだ。夢を見ないルパンにとって、盗まれるような夢などないはずだった。本来ならば。

しかし、その後マモーは確かにルパンの夢を盗むことに成功している。それがこのシーンだ。

「そういえば君の仕事を楽にするために作った君のコピーはどうした? あるいは、処刑されたのはオリジナルの方だったかもしれんぞ」
「馬鹿言うな! 俺はホンモノのルパン三世だぞ!」
「ようく考えてみるのだな。ふははははは……」

ルパンにとって「夢」とは、しいて言えば「ルパンであること」だった、と考えればおおよその説明はできる。マモーの「処刑されたのはオリジナルの方だったかも」という発言は、「自分がルパンであること」を揺るがすものだった。それをルパンは「夢を盗まれた」と表現したわけだ。

「君は死を恐れんのだな。冥土の土産に教えてやろう。処刑されたのはコピーの方だ。君は確かにオリジナルのルパンさ。安心して死ぬがいい!」

自分が自分でなくなったとしても永遠を生き続けたいマモーと、例え命を失おうとも自分自身でありたいルパン。

マモーから見れば、せっかく天が与えた才能があるのに一時の生しか生きられないルパンは不幸だが、ルパンにとっては、脳髄だけの存在に成り果ててまで生き続けたマモーは哀れでしかない。二人が対決するのは必然だった。

対決を制したルパンはマモーを時限爆弾で殺した。これはルパンにとっての介錯であり、優しさだった。

「感謝しな、マモー。やっと死ねたんだ」

 

 

全てのものには限りがある。たとえどんなに遠ざけようとも、いつかくる終わりは避けられない。アイドルは解散する。人は死ぬ。

いつまでも終わらないでほしい。そう願う瞬間も確かにあるけど、やはりすべての物は終わるからこそ美しいのかもしれない、とも思う。どろどろに腐ってしまったものに「それでも終わらないでほしい」と望むのは、生き続けるために自分自身すら見失って怪物に成り果ててしまったマモーと同じなんじゃないか。

だから俺は、色々なことを含めて「これで良かったんだ」と思うことにした。俺だっていつか死ぬんだ。それでいいじゃないか。


やっぱりSMAPは解散してよかったと思うんだ

終わるからこそ、また新しく始めることも出来る。それは確かに事実だと思う。

2016年も終わる。終わるからこそ、また新しく2017年を始めることができる。

よいお年を。

ある夜の風景

おれ「ちょっとちょっと」
奥さん「なにー」
おれ「いいから黙ってこれを読むんだ」


クリスマスに4℃のアクセサリーを貰って喜ぶ女はチョロい - トイアンナのぐだぐだ

奥さん「読んだ」
おれ「ご感想は」
奥さん「読み方って『よんどしー』でいいんだっけ」
おれ「知らん」
奥さん「❨検索中❩」
奥さん「あってた」
おれ「うむ。してご感想」
奥さん「うーん、まあこういう人もいると思うよ。わたしは好きだけど。4℃」
おれ「ディズニーもハートも大好物ですもんね」
奥さん「これは買ってくれるというフリなのか」
おれ「そうとは言ってない」
奥さん「残念だ」
奥さん「わたしの感覚だと、4℃はかなり高級かな? カワイイし、結構好きだけど手が出ないって感じ」
おれ「あー」
奥さん「だけどやっぱりカワイイ系だからさ、カッコいい系の人だったり年が上になってきたりすると合わなくなるんじゃないかな。正直わたしもキツイ」
おれ「アラサーやもんな」
奥さん「滅びろ」
おれ「」
奥さん「例えばYさんっているじゃん」
おれ「はい」
※Yさん=奥さんとおれの共通の友達❨女性❩
奥さん「あの子はヴィヴィアン・ウエストウッドとかが好きなわけさ」
おれ「知らない」
奥さん「こういうの」

エラー | 【公式通販】ヴィヴィアン・ウエストウッド

おれ「ほう」
奥さん「こういうのが好きな子に4℃プレゼントするのはさすがにどうかと思う」
おれ「まあわからなくはない気もする」
奥さん「たぶん『うん…』ってなると思うよ。お前はあの子の何を見てたんだと」
奥さん「そういうことで、4℃みたいなのが好きじゃない子もいるんだよ。このブログの人もそうなんじゃないかな」
おれ「なんか外資系に勤めてるバリバリの人っぽいよ」
奥さん「あー、そんな人に4℃あげちゃだめだよ。もっと高いものあげなきゃ」
奥さん「まぁ、わたしはサマンサティアラとかザ・キッスとかが好きだけどね」
奥さん「くれ」
おれ「えぇ…」

 

❨了❩

広告を非表示にする

「夏はこれからだ!」を歌っていた後輩の話。

最近Google play musicのアップロード機能を使って、自前音楽ライブラリをクラウド化した。PCからのアップロードはそれなりに時間がかかるが、一旦上げてしまえばダウンロードするだけなので後は楽ちんだ。残った洗い物をしながら適当に聞いていた。こんなふうに毎日がだらだらと過ぎていく、というわけで福耳「夏はこれからだ!」が流れた。

この曲を知ったきっかけは会社の慰安旅行(比較的強制性の薄い、というか有志)の夜にメンバーと行ったカラオケだった。この曲を歌ったのは当時二十歳になったばかりの同僚女性社員だった。

聞いたことのある人はわかると思うが、数人で歌っている曲なので一人で歌うにはなかなかキツイ曲だ。しかも、そこまで万人受けしないというか、いやまぁ曲自体はメジャーな響きなので別に悪いわけじゃないが、俺ですら知らなかったので、他の年配のメンバーはほとんどわからなかったんじゃないだろうか。職場で行くカラオケで、そういう趣味系の選曲をする彼女のチャレンジ精神にまず軽く尊敬の念を覚えた。

彼女は歌がそれほどうまいわけではなかったが、その人柄とも合わせてどこか好感が持てる歌い口だった。俺の持論だが、歌には人格が現れる。

旅行から帰った後、彼女の歌が印象に残っていた俺は、その曲について調べた。福耳といえば俺の中では、山崎まさよしスガシカオ、杏子だったが、調べてみるとこの曲のメインを張っているのはスキマスイッチ秦基博元ちとせあたりらしかった。多分だけど、彼女は秦基博のファンなんじゃないかなと思った。いや、スキマかもしれないけど。


愛は今からだ!
夏はこれからだ!


と夏の終わりに歌う彼女は今思い出してもなんかいい感じだった。

それから少し後で彼女は異動になり、そのもう少し後に俺も異動になった。同じ社内にはいるものの、廊下ですれ違った時に軽く会釈する程度の間柄になった。あれからもう5年は過ぎただろうか。彼女はもう歳相応の落ち着きを身に着けているように見えた。

ちょっとしたトラブルにも目を白黒させていた彼女はもうどこにもいないのかもしれない。彼女は今でもカラオケで「夏はこれからだ!」を歌うのだろうか。今歌ってくれるならラップの部分は俺が担当してやるのに、と思ったりもするが、よほどの偶然でもない限りそんな機会は多分訪れない。



福耳 / 夏はこれからだ!

地方にあるプライド山からお伝えします。

生まれてこの方ずっと地方住まいで、出張くらいでしか東京に行く機会がないようなしがない地方企業リーマンとしてはブログ説明文に「外資」と書いてドヤる人の気持ちはよくわからない。まぁある種のバズワードなんだろうけど。

papuriko.hatenablog.com

というわけで、これ読んだ。

「年収コンプレックスを抱える男は無理」という話なんだけど、そういうことを言う男の気持ちもわからなくはないんだよなぁ、というのが正直なところ。

うちの話をする。うちは共働きで、俺と配偶者の収入を合わせて上記ブログに登場する女性1人分にちょっと足らないぐらいの総収入になる。俺の方が配偶者よりも少し年が上なので、俺のほうが少しだけ収入が多い。

配偶者が妊娠すると「育児休業をどちらが取る」という話になる。幸い俺も配偶者の会社も育児休業は比較的取りやすく、「どちらが育休をとってもいい」という状況になった。当然だが育休を取れば取った人の収入は減る。仕事も休まなくてはならないので仕事に与える影響は大きい。場合によっては異動も受け入れなければならない可能性もある。

結局俺のうちでは配偶者のほうが育休を取ることになった。俺の方が収入が多く、彼女が育休を取った方が家計に与える影響は少ないためだ。彼女自身も働くことに対しての執着は大きくなく「子どもと一緒にいる方がストレスフリーで嬉しい」と言ってくれたのも大きかった。

でもやっぱり考えてしまうことがあった。

俺の方が彼女より収入が少なければ、俺が育休を取るのが合理的選択だ。彼女も仕事に対して熱心で「休みたくない」と言われれば俺の側に断る理由は乏しい。

こんなことを言うと叩かれるかもしれないが、俺は今の仕事が好きだ。やりがいもある。収入の多寡ではなく、今の仕事に関わることが将来的に自分の大きな財産になると思っている。そういう時に家計の収入における合理的選択として「自分が育休を取る」ということを俺は受け入れられるのか。

仕事をして生計を稼ぐことに俺は生活の大半を費やしている。仕事は既に自分を形成する大事な要素、アイデンティティとなっている。それを一時的とは言え失った時、俺は「ただ守られるだけの俺」*1であることを受け入れられるのか。

正直言って、俺にはその選択をする自信がなかった。


ただ生きているだけで、「自分が自分であること」だけで自分を肯定できる人、「東京大学物語」の水野遥みたいな人間は、世の中にそんなに多くないと思う。

自分も含め、普通の人はそこまで強くないので、成長にするにつれ自分を肯定するために様々なものを装備していく。それは「魅力的な容姿」だったり「学歴」だったり「明晰な頭脳」だったり「趣味」だったり「仕事」だったり「年収」だったりする。「他人より優れていること」だったりする。そういった様々な装備を身につけることで、人は「自分が自分であること」を守っているわけだ。

「自分が自分であること」を否定されるのはつらいことだ。ケースによれば、それは「モラハラ」と呼ばれたりもする。

「自信がないから」というのは間違っていないかもしれないけど正確でもないと思う。たまたま、その男性にとって致命的な部分が「年収」だったということじゃないだろうか。

人は誰しも尖った部分と柔らかい部分を持っている。上のブログの女性が持つ「尖った部分」は、プライド山に棲む男性の「柔らかい部分」を突き刺してしまった。そういうことじゃないか。

では、そういう「尖った部分」を持つ彼女らはどこに行けばいいのだろうか。

シンプルに考えれば、「年収」や「仕事」が致命的でない人、そこに重きを置いてない人を見つければいい、ということになる。彼にとってそこは「自分が自分であること」のために重要ではないのだから、彼女らの尖った部分は彼の柔らかい部分を傷つけないだろう。

それはもしかしたら彼女らが「養ってもらう気まんまんの夢見がちのクズプー」*2と蔑むような男性の中にもいるかもしれないが、そういう人にも「尖った部分」や「柔らかい部分」があるということ、それを思いやるということを知ってから出会った方がいいんじゃないかと思う*3ので、今しばらくは煉獄の中で生きてみるのもいいんじゃないだろうか。



というわけで、地方にあるプライド山からは以上です。

*1:育休に入れば家事や育児、配偶者のサポートという形で家を支えることが出来るのはわかっている。はっきり言ってこれは「適切な物言い」ではない。

*2:修正されたみたいで、元記事ではもう少しマイルドな表現になってましたが、いずれにしても会ったばかりの他人をそんなふうに表現する人が、他人に対する思いやりを持っているとは到底思えないのでどっちでもいいです。

*3:そういう「思いやり」のない人と付き合う人間は漏れなく苦労する。

親は子供に「幸せ」をプレゼントすることは出来ない

これ(子供育てるのにこんだけ金かかりますよという記事とそのコメント対して感じた違和感)読んで思ったこと。というか、読んでて意味がよくわからなくなるんだけど、まぁ言わんとすることはわかる、みたいな感じだが。

経済的な理由で子供を持つことを控えるっていう、それ自体はよくわかる。うちだってそうだし。誰だって生活水準をあからさまに下げるのは嫌だ。無理のない範囲で家族計画を考えるのはごくごく当然のことだ。

そして、「このままでは少子化によって国が困ったことになってしまう。だから子供を作るべきだ」みたいな考え方も、やはり変だと思う。そんなことは国を運営する人や政策を作る人が考えることであって、末端の一人ひとりが考えたってしょうがないことだ。「お国のために子供を産め!」とか、戦時中か。こういうのも、まぁナンセンスだ。

しかし、「子供を産んでも子供が不幸せになるだけだから子供は作らない」というような考え方だけは、俺にはよくわからない。*1

上記のようなことを言う人が訴える「子供が不幸せになる理由」は、まぁ様々だ。「子育てしにくい国だから」とか、「これからどんどん貧しくなるから」だとか、はたまた「自分のような人間が親になっては子供が可哀想だ」とか。

こういう意見を見るといっつも思うんだけど、なんで「自分の子供は不幸せになる」って決めつけるんだろ。

それが不思議でしょうがない。



こちらのブログ(自己肯定感と子どもについての話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ)で、「それは自己肯定感のなさから来ているんじゃないか」という指摘があった。確かにそれは頷けるものがある。

俺の母親も、ひどい家庭環境で育った人だった。そのせいで自分自身が心の病になってしまい、俺は物心付く前から非常に苦労してきた。

母親からひどい目に遭わされるたびに感じる「自分は愛されていないんだ」という思いを腹の底でずっと抱えていた。性格は暗く内向的で、小学校では「性格暗男」というような、どうしようもないアダ名をつけられ、バカにされた。中学生に上がる頃には多少マシになったが、そういう思いは心の奥底にこびりついて、今もずっと燻ったままだ。

そんな俺だが、彼らのように「自分の子供は(自分と同じように)不幸せになる」とは思わない。

なぜか。

俺には娘が二人いる。そのうち上の子は容姿が俺の小さいころとよく似ている。性格もどことなく俺や俺の母親を思わせる部分を感じることが多々ある。俺のようになるんじゃないか、俺の母親のようになるんじゃないか。そう思ったことがない、と言えばそれは嘘になる。

しかし、当たり前の話だが、俺の娘は「俺」ではない。「俺の母親」でもない。

娘は娘だ。

俺とは違う人間なのだ。

俺と同じものを見ても違うことを感じ、違うことを話し、自分の意志で笑ったり、泣いたり、怒ったりする一人の人間だ。成長途上ながら、俺とは違う、小さな魂を持っている。

彼女はそれを自分自身の力で、行動で育てていく。俺はそれを見守ることしか出来ない。俺の勝手な思い込みや固定観念で、彼女の魂を歪んだ器に押し込めてしまうことは許されない。俺の幸せは彼女の幸せとは違うし、彼女の幸せは俺の幸せとは違う。

彼女の幸せは彼女自身が決めるのだ。親である俺が決めるものではない。

だから俺は「自分の子供は必ず不幸になる」とは思わない。

彼女の幸せも不幸せも、俺には計り知ることができないからだ。



俺は椎名高志さんの「極楽大作戦」に出てくるおキヌちゃんが言う「自分たちはもともと命なんて持ってなかった。たった一呼吸だけでも、何もないよりは良かった」という考え方が好きなので、この世に生まれてくること、ただそれだけでも意味があると思いたい。だから「生まれてこなければよかった」なんて思いたくないし、子供にも思ってほしくない。出来る限りのことはしてやりたいと思う。

しかしそれでも、親は子供に「幸せ」をプレゼントすることは出来ないんだと思う。

親が子供にあげられるのは、陳腐な言葉だが「愛情」ぐらいなもんだろう。

それ以上は子どもにとっても迷惑以外の何物でもないと思う。

*1:この人なんかまさにだ→日本で子供を作るのは罪だと思う

SMAP解散に関する文春の記事を読んだ。

今日発売の週刊文春SMAP解散に関する記事を読んだが、やっぱりよくわからない。とりあえず「事務所側はなんとか解散を避けようと腐心したが、木村を除くメンバーの意思により解散を発表する運びとなった」という、大手メディアが報道しているストーリーをなぞっていることだけはわかった。少なくとも、事務所=悪というストーリーを描きたい大方のネット民の皆様にとって満足のいく内容でないことだけは間違いない。

 

見出しにも取られている「15年前から壊れていた」という発言だが、これも「ジャニーズ事務所幹部」という人の証言によるもので、本当にそのような発言があったのかも定かではない。

 

仮にその発言が大筋事実だったとしても、肝心の「15年前の『壊れる』きっかけとなった出来事」が本当に「木村の結婚」なのかも、執筆者の憶測に過ぎない。

 

また、証言の大半が事務所関係者、もしくはそれに準じる人ばかり、というのも気になる。これでは、事務所の言い分を代弁しているだけなのではないかと言われてもしょうがないと思う。

 

色々と逃げ道を残してある記事だなぁ、というのが正直な感想だ。

 


 

こういうトラブルに「唯一無二の真実」などありはしないが、人が悲しい出来事を受け入れるためには何らかのストーリーが必要だ、ということも確かだ。

 

これから先、耳をふさぎたくなるような続報が出てくることもあるかもしれない。しかしどうか、どうか悲しんでいる人の心を、これ以上深くえぐるようなストーリーが作り出されませんように。

 

ジャニーズ・アイドルが好きな人間の一人として、今考えているのはそんなことだ。

久しぶりに怖いブログを見た。

久しぶりに怖いブログを見た。怖いのでリンクは貼らない。

 

怖いと言ってもよくあるオカルト的な怖さじゃない。なんていうか、純粋な悪意にみちみちているのが、数記事流し読みをしただけでも手に取るようにわかるのだ。

 

もしかしたら、書いてる本人ですら自身の持つ悪意を自覚していないのかもしれない。しかし、その書き手が自分の子どもに向ける視線は悪意以外の何者でもない、と一読しただけで感じる。でなければ自分の子どもに対してあんな言葉を書けるわけがない。

 

そう遠くない未来、そのブログは衆目に晒され炎上し、ネットの世界から姿を消すかもしれない。今すぐそうなっても俺はまったく驚かない。

 

しかし、そのブログを書いていた本人は消えず、リアルワールドの片隅で底知れぬ悪意をボウボウと燃やし続け、周囲に火の粉をまき散らし続ける。

 

そんな一連の不幸を思うと余計に怖くなるが、それが人間なのかもしれないとも思う。誰もが口に出さないだけで、こうした底知れない悪意は、多かれ少なかれ誰もが隠し持っているものなんだろう。

 

自分が○○に対して「消えてなくなればいい」と思っているのと同じように、○○も自分に対して「消えてなくなればいい」と思っているわけだ。

 

恐ろしい恐ろしい!

そんなきれいな思い出だけで、全てを肯定することはできないものだろうか。

色々あって更新が滞ってしまった。特に書くこともなかった…というわけでもないんだけど、どうにも筆が向かなかった。正直言うと、今も向いてない。

 


14日に国民的アイドルグループ・SMAPが今年12月31日で解散することが報じられた。ネット上では「誰が悪いのか」について様々な意見が飛び交っているが、その大きな流れにいまいち乗り切れないのは、こういう人間関係トラブルについて「誰かが一方的に悪い」なんてことは基本的には無いと思うからだ。

あの時こうしていれば、とか。後悔を思えばきりがない。誰も悪者に出来ず、ただ受け入れるしかないことも人生にはある。

誰もがそれぞれに、何らかの「理由」を抱えている。それが表面化しないのは、それを殊更に大声で喚き立てることではない、とその人自身が知っているからだ。

「理由」と「理由」がぶつかり合えば軋轢が生まれる。そのこと自体は、誰にも責められることじゃないと俺は思う。

全ての良くない出来事の責任を擦り付けられる「この世全ての悪」が本当にあれば良かったのにね。

残念ながら、そんなものはない。あるとすれば、それは「苦しい」ことを「苦しい」とも口にさせてもらえなくなった哀れな誰かなんだと思う。

俺はそんな彼に、あるいはそんな彼女に、心の底から同情する。

 

つい先日なくなった俺の母親はSMAPの、とりわけ木村さんが大好きだった。

彼がテレビに出ると、普段あまり笑わない母が少しだけ笑顔になった。

そんな母も、5人で輝いていたSMAPも、過ぎ去ってしまってもうこの世にはない。

全ては過去になってしまった。

そんなきれいな思い出だけで、全てを肯定することはできないものだろうか。

 

 

 

 


トピック「SMAP」について

「卵」ではなく「壁」の側に立とうとするフィクション

この件。


後で消えちゃうかもしれないから、この名コピーを引用しておこう。

人生に、文学を。

文学を知らなければ、
目に見えるものしか見えないじゃないか。
文学を知らなければ、
どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)

読むとは想像することである。
世の不条理。人の弱さ。魂の気高さ。生命の尊さ。男の落魄。女の嘘。
行ったこともない街。過ぎ去った栄光。抱いたこともない希望。
想像しなければ、目に見えるものしか知りようがない。
想像しなければ、自ら思い描く人生しか選びようがない。

そんなの嫌だね。つまらないじゃないか。

繰り返す。人生に、文学を。
(一年に二度、芥川賞直木賞

人生に、文学を。

いやぁ、何度読んでもカッコ内の文言が色々台無しにしてる感が否めないわけですが、それを差し引いても、通読してそもそも何を狙った広告なのかがさっぱりわからないというのは些か問題ではないかと思いますですはい。

芥川賞直木賞を主催する日本文学振興会さんが発起人の、特に新味もない読書ティーチング企画に対して名だたる大企業が協賛にずらっと名を連ねていらっしゃいますが、まぁお金がなくて大変なんだろうというのは容易に想像がつきますね。

当然のように燃えた結果、日本文学振興会さんは『アニメを差別、蔑視(べっし)する意図はまったくなく、それが目的ではない』と釈明に追われているようです。*1




有名だけど直接は関係ないし、趣旨も実は違う話なんだけど、村上春樹さんがエルサレム賞の受賞スピーチでこんなことを言っている。


が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。それは、私がフィクションを書くときに常に心がけていることです。(座右の銘として)紙に書いて壁に貼っておくという程度ではなく、私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。それは、こういうことです。

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。
そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。

村上春樹エルサレム受賞スピーチ | 書き起こし.com


この「壁と卵」スピーチの念頭に置かれているのは、ガザ地区での激しい戦闘のことや、エルサレムという土地の賞を受賞することに対する逡巡だったりするのだが、村上さんの文学に対するスタンスがよくわかるメッセージだ。

高い壁と、それにぶつかれば割れるしかない卵。

高い壁が「体制」や「システム」だとすれば、卵はその中で生きる「人間」のことだという。

そうした「人間」を描き「人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の役目」であり、「我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由」なのだと。



端的に言えば、例の広告に透けて見える、フィクションの中で文学のみを殊更に権威づけ、アニメを始めとするその他のフィクションを貶めようとする態度は、「文学」そのものを村上さんの言う「壁」の側に貶めようとする行為のように見えた。少なくとも俺の目にはそう映ってしまった。

「卵」ではなく「壁」の側に立とうとするフィクションを、一体誰が支持するというのか。

「文学」がそういうフィクションだと喧伝するような広告は、人々の心を「文学」からさらに遠ざけるだけだ。そういう想像力を立案者側は持てなかったのか。

まぁそんなわけで、俺はあの広告は全く賛同しない。

新聞社の選挙特設サイトについて思うこと

選挙も近いし、選挙について書くか。

と言っても特に言いたいこともないのでアレなんだが、各新聞社のサイトを巡っていてちょっと思う所のあったサイトをいくつか紹介しておこう。




朝日新聞と東大の共同調査によって作られたサイトで、中々手が込んでいる。

自分の地域を選択した上で、政策政治スタンスに関する質問に該当地区の候補者がどう答えたのかが一覧できる仕組みになっている。




昨今の政治情勢から考えられる一般的な争点っぽい25の質問にまず答え、各候補者と自分との一致度がわかるサイト。「こいつと近いのか…」と若干自分に疑問を持ってしまったのは秘密だ。



他社も部分的には面白いなーと思ったサイトはあるけど、「凝ってるな」「頑張ってるな」と思ったのはこの二つだ。

さて、しかし「凝ってる」のと「役立つ」のはまったく別だ。

こういうサイトを眺めた所で、では俺は、これらのサイトを参考に投票行動を決めるのでしょうか。

答えはNOだ。

新聞社さんも、ここまで頑張って作ったならPDCAサイクルのCをぜひ回してほしい。このサイトを見て自分の投票行動を決めた、あるいは大いに参考になったと考える人はサイトを見た人の中でどのくらいいるのか。

なぜ参考にしないかというと、俺の答えは簡単だ。

こんなアンケート結果だけ見せられても「その人がどういう人なのか」「永田町でどういう働きを期待できる人なのか」がさっぱりわからないからだ。

変な話、アンケートに答えるくらいだったら別に俺だって出来る。朝日さんのサイトに俺の顔のっけてもらって、右に左に動かしてもらえばいい。

俺が議員さんに期待するのは「ちゃんと仕事してくれること」だ。政党所属の場合は、その政党の公約に期待する、という面もあるにはあるが。現職や議員経験者なら、議員時代にどういう仕事をしてきたのか。政党の中でどういう立ち位置にいるのか。新人なら、どういう経歴の持ち主なのか。

ざっくり言うと、その人が「どういう仕事が出来る人なのか」という情報が知りたいんですよ。政策に対する思想信条は確かに参考になるかもしれないけど、それが全てじゃないと思うんですがね。

まぁ新聞社のサイトなんで、Webは暇つぶし程度のコンテンツで「詳しい話は新聞とってよ」というスタンスなのかもしれないけど、こういう「わかりやすさ」だけを追求して、落っことしてはいけない大事なものをどこかに落っことしてきたようなサイトを見せられると、なんか、率直に言うと「バカにされてるのかなー」という気すらする。

「Web見て投票決める奴なんてこの程度の情報で十分なんでしょー?www」みたいな。

もちろんコラムや新聞報道に関するリンクもあるので、情報量に不満があるというわけじゃない。しかし、こういうサイトに費やす労力があるなら、もっと別の生かし方があるんじゃないのー、といち読者として思っただけだ。