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名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

俺は俺の中に渦巻く「誰かを傷つけ得る欲望」をどう扱えばいいのだろうか。

痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか? - 限りなく透明に近いふつう

これを読んだ。この方の語り口は非常に柔らかで説得力があり、多くの人を共感させる力があると思う。羨ましくなってしまうような才能だ。


***


街を歩いていて、ふと擦れ違う女性に視線が行ってしまう。そんなのは男だったら日常茶飯事だろう。

別にどうこうしたいとか、仲良くなりたいとか、そんなことは全く思っていない。なのに、なぜか俺の視線は彼女らに吸い寄せられてしまう。そんな自分に気付くたび、少し怖くなる。俺は、俺の中にある原初の欲望を怖いと思っている。忌避感を抱いている、と言ってもいい。それは誰かを傷つけ得る欲望だからだ。

俺は、おそらく痴漢をしない。面倒事に巻き込まれたくないとか、そもそも知らない他人に触れるのが怖いとか、一応社会の一員として、社会から弾き出されない生き方をしなければならないとか、そういう諸々の事情が俺の原初の欲望にストップをかけている。

しかし、そうしたストッパーが、ふとした弾みで自分の中から全て消え失せてしまったとしたら、どうなるだろうか。ストッパーを遥かに凌駕する欲望に呑みこまれてしまったら。

そうなった時、俺は今の俺でいる自信がない。上で「おそらく」と書いたのは、そんな理由だ。



仮に、抱えた欲望の大きさを1から100までの数字で表すことが出来たとする。50までが通常値、75以上は危険水域、90を越えたら理性崩壊、というような。

大多数の人は0から50までの間を行ったり来たりするだけなんだと思う。でも稀に、その平均数値が70くらいで、ふとした刺激で簡単に90を超えてしまうような人も、中にはいるのかもしれない。巷で見る、痴漢行為を働く人間というのはそういう「欲望数値」の平均がそもそも高い人間だったり、刺激に敏感で、簡単に閾値を超えてしまう人間なんじゃないかと俺は思っている。

1から50までの人間に、基本値が70後半の人間の気持ちは、中々理解できないだろう。

だけど、そういう人間は確実に存在している。そして、1から50までの人間だって、何かの弾みで安全装置が故障して異常値を頻発させるようになる可能性は、ゼロではない。自分はけして例外じゃない。

そんなことを、彼らが捕まるニュースを目にしたり、痴漢被害経験を語るブログを読んだりした時、思ったりする。


 ***


俺は、そんな自分の中に渦巻く「誰かを傷つけ得る欲望」をどう扱えばいいのだろうか。今よりも若い頃、そんなことを悶々と悩んだことがある。誰かを傷つけてしまうなら、誰とも関わらず一人で生きた方がいい。そう思っていたこともあるし、実は今でも若干そう思っている。

しかし、そうした「欲望」は上手くコントロールすれば、人を傷つけるだけではなく、人を満たすことも出来る。それを何となく理解したのもつい最近のことだ。「欲望」は完全無欠の悪ではない。

だけど、それを知るには経験が必要だ。経験を得るには、勇気がいる。嫌われたらどうしよう、拒絶されたらどうしよう、を乗り越える勇気が。

そして、勇気は誰しもに備わっているものではない。

勇気がない人はどうしたらいいだろうか。どちらかと言えば勇気がない方の俺は、今でもそんなことを考えてしまう。