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名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

「人と人が理解し合えない」ことの象徴としての仮面

俺は俺の中に渦巻く「誰かを傷つけ得る欲望」をどう扱えばいいのだろうか。 - 名前のない日記

昨日は自分の「欲望」について書いたが、これはあまり多数の良識派の皆様からの賛同を得られる内容ではなかったように思う。まぁ良識派も良識派でない人も、そもそもこのブログにはまだあまり人が来ないので、全然問題ないけど。ちなみに今週のPVは29である(さりげないPV自慢)。

昨日の記事のリンク先のブコメに、「痴漢は性犯罪者であって、一般男性の欲望の延長線上にはない存在だから、自身も同じく男性であるということは切り離して考えるべきだ」という意見がいくつか見られた。健全過ぎて眩暈がしそうなほど健全な考え方だが、もしそれを書いたのが男性であるなら、その人は自分の奥底に、自分のちっぽけな理性を焼き尽くす衝動を感じたことがないのだろうか。まぁいいんだけど。

ネット上に限らず、人と人が理解し合うなんてことは、ほとんど奇跡みたいなものだ。理解を望んではいけない。理解していると勘違いしてもいけない。理解し合えるかもしれない、という可能性を信じることとはまた別の次元の話だ。


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全然関係ないけど(少しだけ関係あるけど)、この前本屋に行ったら「アイムホーム」の漫画本があって、衝動買いしてしまった。ドラマでは話を収めるために主人公の活躍が描かれるのだけど、漫画版ではそういうものもなく、痛みだけが降り積もっていき、家路久の妻と子供の仮面は最後まで外れなかった。

二人の仮面は「人と人が理解し合えない」ということの象徴のようなものだ。それ自体は前提条件で、久が求めたのはそういうことではないのだ。そういう意味では少しわかりにくいラストだったのかもしれない。