名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

俺は「思考を文字にする達成感」と「それを見た他人からの反応」のためにブログを書いている。

文芸賞に応募を始めたら、ブログは必要なくなった。「ただ私は書きたいだけ!」と言うブロガーは、ウソつきだ。

煽り成分が強くて思わず感情的になってしまいそうな増田だけど、ブログを書いてる自分としては色々考えさせられてしまった。

増田が言いたいことを好意的に解釈すると「文学賞に応募するために原稿を書き始めたら、それだけで「書きたい!」欲が満たされたので、ブログを書かなくても良くなった」ということだろう。その経験から、

「書いたものをWeb上で公開しなくても「書きたい!」欲は満たすことが出来る」→「ブログ書いてる理由が「書きたい」だけなんて嘘っぱちじゃんか。かっこつけんな」

と言っているわけだ。

なぜブログを書くのか。

いみじくも増田はブログを書いてる人についてこんなことを書いている。

ブログを選んだ時点で、不純な動機が混じってる。


他人に影響をあたえたい、他人とコミュニケーションをとりたい、他人に存在をみとめられたい、セルフブランディングしたい、お金を稼ぎたい…


文芸賞に応募を始めたら、ブログは必要なくなった。「ただ私は書きたいだけ!」と言うブロガーは、ウソつきだ。

俺がブログを書く理由は正にこれだと思った。

自分が書いたものを他人に見せて反応が知りたい。手ごたえを掴みたい。それを見て誰がどう感じるのかを見たい。世界と繋がっている手触りを得たい。

俺には、他者とつながりたい、そういう欲求がある。

そういう欲求を処理するのに、ブログで済む人もいれば、自分だけの日記帳で完結できる人もいる。

毎晩の晩酌で配偶者に話せばそれで満足という人もいる。twitterの140文字の連投でいい人、大手メディアにライターとして文章を掲載させたい人、年に2回のコミケで同人誌を発表する人、ゲームを作る人、pixivで漫画作品を連載する人。

増田のように文学賞という場に自分の作品を出すことに充足感を得る人も。

「書きたい」という欲求と、それを「読ませたい」という欲求。その濃淡と志向性は人それぞれ違う。大体の場合は、自分の身の丈と、自分の欲求の大きさ、志向を合わせて考慮し、自分にとってよりベターなメディアを選択しているはずだ。

それを他人がとやかく言うのは、正に「余計なお世話」という奴だろう。


 ***


しかし、自分がメディアを扱うにあたって充足したい欲求とは何かを考えることは意外と大事なことなのかもしれない。

この増田みたいに、文学賞に応募することで充足される欲求を抱えているのにも関わらず、ブログ書いててもしょうがないしね。

問題は、自分の欲求をどこか下賤なもののように扱ってしまいがちなことや、欲求自体がそもそも自分にすら見えにくいことなのかもしれない。

君たちがほんとうにすきなのは、思考を文字にしてなんとなく得た達成感と、他人からの反応でしかないんだよ。


文芸賞に応募を始めたら、ブログは必要なくなった。「ただ私は書きたいだけ!」と言うブロガーは、ウソつきだ。

こういうことを自覚して、それを満たすためにブログを書くことは大事なことだし、極めて健全なことだと俺は思うぜ。