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名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

今さら「魔法少女まどか☆マギカ」を見てモヤモヤしている。

先週ぐらいにかけて、今頃というかアレなんですけど「魔法少女まどか☆マギカ」を見た。一度TVシリーズをゆっくりと咀嚼してから見たいなーという気持ちなので、劇場版はまだ見てない。

そんなわけで、今俺の中では絶賛まどマギブームが巻き起こっているのだ。俺のはてブをお気に入りに入れてる人は「こいつは何を狂ったようにまどマギ関連のリンクをブクマしてやがるんだ」と思われたことだろう。すまん。もう少し我慢するか非表示にしてくれても構わない。

色々な人の感想を見たかったのは、自分の中にこの物語をどう落着させたものか、判断に困ったからだ。有体に言えば、モヤモヤしている。

まだ自分の中で考えはまとまっていないが、今感じていることをそのままの形で書き殴っておきたい。ちなみにこれは、完全に自分による自分のための憑き物落としであることをここに宣言しておく。


正直言って、最終話のまどかの選択にモヤモヤしている。

見る前から、ある程度の流れはネット上のネタレベルでは知っていた。マミるとか、ほむらがループしてるとか、まどかが神だとか。

しかし、話数を進むごとにどんどんと逃げ道を塞がれていくまどかを見ているうちに段々辛くなってきて、最後まどかが「自分にしか出来ないことをする」と言いながら神のごとく高次の存在となって永遠に戦い続けるという選択をした時「あぁもう駄目だ」と思った。

まどかは神となり、現実の世界では「最初からいなかった」ことにされてしまった。産みの親ですら、まどかのことを覚えていない。この世界に唯一残されたまどかの痕跡は、彼女のリボンと、ほむらの記憶だけ。

そりゃねえだろよ、と。正直言って、こんなに「そりゃねえだろ」と思ったのはエヴァの旧劇以来だよ。

これは、もしかしたら俺が今、人の親になったからそう思うのかもしれない。少なくとも、自分の娘がこんな決断をさせられたら、俺はきっと耐えられないだろう*1。どんな形でもいいからこの世界に生きていてほしい、と人の親なら願うだろうよ。

また、俺には「博愛」が理解できないだけなのかもしれない。まどかの願いが「ほむらをループから救い出す」なら理解できたかもしれない。さやかの願いも、杏子の決断も、まだ理解できる。彼女らの「願い」は皮肉な結果や自己欺瞞も含めて、どこまで行っても人間らしかった。

だけど、漠然とした「セカイ」みたいなものを救おうとするまどかの願いに、俺は「人間らしさ」を感じることが出来なかった。「願いや希望が呪いに変わってしまう世界なんて間違ってる」という彼女の思いは、頭では理解できる。しかし、そんな決断を本当に人間が出来るのか。過去や未来の魔法少女まで、本当にまどかが救わなくてはならなかったのか。それが「自分だけにしかできないこと」だったからといって。

俺は、まどかへの賞賛以上に、一人の人間に「神」になることを(結果的に)強要する世界自体のグロテスクさに改めて慄いてしまったし、それに流されるような選択をしてしまったまどかは「愚か」だとも思った。制作者も視聴者に「そりゃねえだろ」と感じてもらうように最終話を構成したんじゃないかと感じてもいる。正解は知らないが。

まどかのような人たちを十字架にかけることによって、今の世界は成り立っている

9話でキュウベエが「自分たちがこの『魔法少女システム』を持ち込まなかったら人類はまだ洞窟で暮らしてる」って言ったんだけど、この台詞ってすごい。

それは「誰かの願いや希望、それに伴う呪いこそが人類や文明をここまで発展させてきた」ということ。「魔法少女の魔女化」に照らすまでもなく血塗られた歴史で、「グロテスクな世界」そのものなんだけど、それ自体を否定する言葉も俺は持てないでいる。

それは突き詰めれば「まどかのような人たちを十字架にかけることによって、今の世界は成り立っている」ということなんだよな。それを、今を生きる俺が否定できるのか。家畜を食べて生きているこの俺が。

世界はグロテスクだけど、グロテスクだからこそ今の俺たちは生きていられる。

矛盾。

そういう矛盾を悲しいと思い、変えようとし、そして失敗したのがほむらだ。

結局、ほむらはまどかを救えなかった。

「救えなかった」記憶と後悔を抱えて、ほむらは死ぬまで戦い続けるしかない。そんな忸怩たる思いを、俺たちも等しく抱えるべきなんじゃないか、と思ったりもする。

こう考えると、俺は結構ほむらに感情移入してこの話を見ていたんだなぁ。


まだよくまとまってないけど、もう少し考えてから劇場版見る。

*1:だから、まどかを行かせてしまった母親に対しては正直言って辛辣な感想を持たざるを得ない。