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名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

まどかには「世界を救わない」という選択をする権利がある。



暇なのでこの増田について書く。

この増田の元ネタになっている例の京都の方だが、俺は別にムカついてはいない。後の記事での「釣ってやったわ」みたいな態度が反感を招いているようだけど、前の記事に書いてたことは結局本人の本音なんだもんね。それに共感や反発を覚える人があれだけたくさんいたってことだから、それが意図的か意図的じゃないかは俺にとってはそんなに大きな問題じゃないし、結構すごいことだと思う。あと大抵の場合、性格悪い人の方が書くものは面白い。

まぁ、自分が誠実であることは大事だけど、他人に誠実さを求めたってろくなことはないよ。俺が保証する。

まぁいいや。で、上の増田について。


それは、「天賦の才能は神から与えられたもので、返す必要がある」という指摘だ。

これはもしかしたら、上のブログでもったいないと言ったという話に繋がるかもしれない。

(中略)

ハテブの中にノブレス・オブリージュの話が出ていたが、優れた能力を持つものは、より多く社会に貢献すべしという主張に通じるのかも知れない。

天賦の才としての高学歴

読んだ時から違和感があった。『ノブレス・オブリージュ』と『能力がある人は、より社会に貢献すべし』って、通じるかもしれないけどやっぱりちょっと違うよね?


ファニー・ケンブルが1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際に、しばしば用いられる。最近では、主に富裕層、有名人、権力者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

ノブレス・オブリージュ - Wikipedia


ここでいう「特権」と「才能」って、果たして互いに代入しても問題ないような概念だろうか。

高い地位を有する貴族や王族は平民とは比較にならない特権を持っているのだから、戦時においては積極的に戦い民を守らなければいけない。それはわからんでもない。

しかし、自らそういう自負を持ち心がけるのは立派だが、それって自発的に持つから立派なのであって、他人から「それを持ってない」ことを理由に批判を受けなければならないようなことなのだろうか。

どうにも納得できない。

大体「才能」って、「資産」や「地位」と違って捨てることが出来ない場合もあるじゃないですか。「学歴」だって、ある意味では捨てられない。

貴族や王族が平民と比べて社会に重い責任を背負うのは、彼らが「特権」を持つことによって通常よりも大きい利益を得ているからだ。

「才能」や「学歴」って、持っているだけで得られる利益ってあるんだろうか。結局それを自己努力で磨いて、働くから利益を得られるのであって、「持っているだけで」食えることなんてない。

「持ってない人」と比べたら多少有利かもしれないが、それって貴族や王族の「特権」と比べられるほど大きな利益なんだろうか。それを理由に「社会に還元せよ」と迫られなければならないような性質のものなんだろうか。


この増田を読んだ時、俺はこの前見た「魔法少女まどか☆マギカ」を思い出した。

まどかには「魔法少女」の才能があった。その身を犠牲にすれば、「ワルプルギスの夜」という世界の危機を一人で撃退できるほどの、途方もない才能が。

この時のまどかは、その才能を理由に世界を救わなければならない義務を負っているのだろうか。「才能」を持っているという、ただそれだけのために、その命を差し出さなければならないだろうか。

俺は、違うと思う。

まどかには「世界を救わない」という選択をする権利がある。その才能を発揮するかどうかの決断権は、本人にしかないはずだ。*1

「才能を持っている人間は社会に貢献する責務を持っている」

自分自身でそれを自負し、行動するのは立派だ。しかし、他人がそれを押し付け強要するのは、いささか邪悪が過ぎるように俺には思える。

「世界のために死ぬ覚悟ができたら、いつでも声をかけてよ」

と、無邪気に迫るキュウベエは、魔法少女たちにとってそういう存在ではなかったか。

*1:だからこそ俺はTV版を見た時、そんな決断を彼女にさせる「世界」ってクソだなという感想を持った。