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名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

たった0.05ミリ、合成ゴムの隔たりをその日君は嫌がった

ちょっと日記を書くのをさぼってパワプロアプリのダンジョン高校攻略に勤しんでいるうちに、イギリスがEUを離脱していた。

とはいえ、自分の仕事に深く関わってくるわけでも(副次的には大いに関係あるんだろうけど)ないので、ともあれ俺にとってさしあたっての重大事はEU<ゲームなわけだ。我ながら不真面目すぎる。

そんなこんなで、ゲームの合間を縫って土曜日にとある講演を聞きに行ったわけだが、そこでも話題の半分はイギリスのEU離脱問題だった。講演を聞いたからと言ってわかったようなことは言えないし、そもそも難しいことはよくわからないし、何がわからないかもわからないが、その講演の中で自分の心にフックしたことを書き残しておく。



国と国との境目にあるものは、これは言うまでもなく国境である。日本のような島国では、自国と他国を隔てるものは海だが、大陸にある国では道一本が国境だったり、小さな川一本が国境だったりすることもある。それが何であれ、大昔から連綿と受け継がれてきた隔たり。それが国境。

目には見えないが、人々を隔てるものとして「民族」という概念もある。同じ文化、同じ歴史、あるいは同じ宗教、価値観を歴史的に共有する。同じ国に住んでいても、違う価値観を持っている。民族。これも隔たり。

この世界には無数の「隔たり」が存在している。フォーカスしていけば、個人と個人。男と女。アウェイしていけば、国と国。宗教と宗教。規模も深さも様々だ。そうした「隔たり」は時として争いの火種にもなってきた。

経済的なこと、政治的なこと、様々なことをひっくるめて、EUとはそうした「隔たり」を超える一つの大きな試みだったのだと思う。国と国との間に立ちはだかる壁を少しでも低くしていこう、越えていこう、一つになろう。

イギリスのレファレンダムが出した答えは、そうした大きな流れに対する「No」だったんじゃないか。

離脱に対する世間の見方は概ね否定的に思えるが、わからなくもない、というのが正直な感想になる。


この例えが適切か適切でないかは、自分にとっては結構どうでもいい話で、こういうたとえ話を持ち出す感覚、そしてそれを「理解できる」と思える感覚を自分たちが持っているという事実、これが興味深かった。

一つになろうとすることと、それぞれの差異を認めるということ。両立するのかもしれないが、アレルギーだって起こって当然だと思う。

歴史とは積み重ねだ。許すことは出来ても、なかったことには出来ない。

それは「ある」ものだと思うこと。そうした0.05ミリの「隔たり」を、認めた上で超えようとする試み。

難しいけど、自分たちに課せられているのはそういう使命なのかもしれない。