名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

親は子供に「幸せ」をプレゼントすることは出来ない

これ(子供育てるのにこんだけ金かかりますよという記事とそのコメント対して感じた違和感)読んで思ったこと。というか、読んでて意味がよくわからなくなるんだけど、まぁ言わんとすることはわかる、みたいな感じだが。

経済的な理由で子供を持つことを控えるっていう、それ自体はよくわかる。うちだってそうだし。誰だって生活水準をあからさまに下げるのは嫌だ。無理のない範囲で家族計画を考えるのはごくごく当然のことだ。

そして、「このままでは少子化によって国が困ったことになってしまう。だから子供を作るべきだ」みたいな考え方も、やはり変だと思う。そんなことは国を運営する人や政策を作る人が考えることであって、末端の一人ひとりが考えたってしょうがないことだ。「お国のために子供を産め!」とか、戦時中か。こういうのも、まぁナンセンスだ。

しかし、「子供を産んでも子供が不幸せになるだけだから子供は作らない」というような考え方だけは、俺にはよくわからない。*1

上記のようなことを言う人が訴える「子供が不幸せになる理由」は、まぁ様々だ。「子育てしにくい国だから」とか、「これからどんどん貧しくなるから」だとか、はたまた「自分のような人間が親になっては子供が可哀想だ」とか。

こういう意見を見るといっつも思うんだけど、なんで「自分の子供は不幸せになる」って決めつけるんだろ。

それが不思議でしょうがない。



こちらのブログ(自己肯定感と子どもについての話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ)で、「それは自己肯定感のなさから来ているんじゃないか」という指摘があった。確かにそれは頷けるものがある。

俺の母親も、ひどい家庭環境で育った人だった。そのせいで自分自身が心の病になってしまい、俺は物心付く前から非常に苦労してきた。

母親からひどい目に遭わされるたびに感じる「自分は愛されていないんだ」という思いを腹の底でずっと抱えていた。性格は暗く内向的で、小学校では「性格暗男」というような、どうしようもないアダ名をつけられ、バカにされた。中学生に上がる頃には多少マシになったが、そういう思いは心の奥底にこびりついて、今もずっと燻ったままだ。

そんな俺だが、彼らのように「自分の子供は(自分と同じように)不幸せになる」とは思わない。

なぜか。

俺には娘が二人いる。そのうち上の子は容姿が俺の小さいころとよく似ている。性格もどことなく俺や俺の母親を思わせる部分を感じることが多々ある。俺のようになるんじゃないか、俺の母親のようになるんじゃないか。そう思ったことがない、と言えばそれは嘘になる。

しかし、当たり前の話だが、俺の娘は「俺」ではない。「俺の母親」でもない。

娘は娘だ。

俺とは違う人間なのだ。

俺と同じものを見ても違うことを感じ、違うことを話し、自分の意志で笑ったり、泣いたり、怒ったりする一人の人間だ。成長途上ながら、俺とは違う、小さな魂を持っている。

彼女はそれを自分自身の力で、行動で育てていく。俺はそれを見守ることしか出来ない。俺の勝手な思い込みや固定観念で、彼女の魂を歪んだ器に押し込めてしまうことは許されない。俺の幸せは彼女の幸せとは違うし、彼女の幸せは俺の幸せとは違う。

彼女の幸せは彼女自身が決めるのだ。親である俺が決めるものではない。

だから俺は「自分の子供は必ず不幸になる」とは思わない。

彼女の幸せも不幸せも、俺には計り知ることができないからだ。



俺は椎名高志さんの「極楽大作戦」に出てくるおキヌちゃんが言う「自分たちはもともと命なんて持ってなかった。たった一呼吸だけでも、何もないよりは良かった」という考え方が好きなので、この世に生まれてくること、ただそれだけでも意味があると思いたい。だから「生まれてこなければよかった」なんて思いたくないし、子供にも思ってほしくない。出来る限りのことはしてやりたいと思う。

しかしそれでも、親は子供に「幸せ」をプレゼントすることは出来ないんだと思う。

親が子供にあげられるのは、陳腐な言葉だが「愛情」ぐらいなもんだろう。

それ以上は子どもにとっても迷惑以外の何物でもないと思う。

*1:この人なんかまさにだ→日本で子供を作るのは罪だと思う