名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

2016年に出会えて良かったもの

トピック「2016年ベスト」について。

ジャンルに限ってしまうとあんまり思いつかなかったので、ノンジャンルでいくつか並べてみる。

ゲスの極み乙女。

この人たちを初めて認知したのは、実は前々回の紅白(2015年大晦日)。2016年を1年間彩ったスキャンダルと同時並行でいくつかアルバム聴いた。久々に「こいつらすげえ」と思えたバンドだった。特にキーボードが暴れまわる曲が好き。

もうあんまり音楽聴かなくなっちゃったけど、この人たちが活動休止しちゃったのは素直に惜しいな、と思います。アルバム早く発売してほしい。

こんなこと言うと怒られそうだけど、音楽を聴いてる身としては、その人の人格や普段の言動なんてあんまり意味がない。どんなに普段ふざけたことを言っていようと、ステージや楽曲で表現されるものが全てだから。

どんなにその人が人格的に優れていようと、それがステージ上や楽曲で表現できなかったら、アーティストでいる意味はない。だから、インディゴも含めて早く復帰してくれるとうれしいなと俺は素直に思っています。

真田丸

初めて大河ドラマを1年通して視聴した、稀有な経験をさせてもらった。総括は書き忘れてしまったけど。

見出した当初は、やっぱり三谷幸喜さんの「清須会議」と重ねて見てしまう所があって、「清須会議」では秀吉やってた大泉さんが信幸やってる!とか官兵衛が出浦!とかお市が寧々とか。一番笑えるのが、丹羽長秀が秀吉パターンの小日向さんだったなぁ。

敗者にスポットを当てる、というのが真田丸の特徴だと思うけど、そういうドラマってえてして負ける側を過剰に美化しがち。その点真田丸は負ける側が「負けるべくしてこの人たちは負けたんだ」というところをぼかさずに描いたところが好印象だった。特にラスト10話はその傾向が残酷なほど顕著だった。

歴史をちょっと知ってる人なら大坂方が負けることなんて知っている。あらゆる描写で「この人たちはこうした負けたのだ」と表現される。おそらく「自分たちは負ける」ということを最も自覚していたのは信繁だっただろう。

では、負けた側の戦いに意味はなかったのか。負けることがわかっていながらそれでも戦う信繁は人生に絶望して死んでいったのか。観た人ならわかると思うけど、そうではないんだよね。

「どうせ才能ないから」
「どうせ自分には文化資本がないから」

信繁はそういう言い訳を一切しない。負けるとわかっていても、最後まで諦めない。自分に与えられた役割を精一杯やりきる。

諦めなかったものにこそ道は開ける、と終盤の信繁は呪文のように繰り返していた。

彼にとって「道」とは、「生きていくための意味」みたいなものだったと思うんですよね。敗者の人生に意味なんてない? そんなわけねぇーだろ!という、全ての人に向けられたエールだったと俺には思えた。

ポケモンGO

ながら運転絡みで色々と世間を騒がせたポケモンGO。俺というよりも奥さんの方がハマってた。ちょっと飽きてきたけど、とりあえず今でもちょこちょこやってる。

魔法少女まどか☆マギカ

今さらシリーズ。一応「叛逆の物語」まで見た。テレビシリーズの感想は以前書いた通り。


今さら「魔法少女まどか☆マギカ」を見てモヤモヤしている。 - 名前のない日記

「叛逆の物語」についての感想は自分の中での賞味期限が切れてしまった感があるが、概ね満足とだけ。

さよならポエジー

昨年秋ごろにライブを見て、それ以来ずっとyou tubeでヘビロテしてる。たぶんそのうちCD買う。配信してないみたいだし。

書き出してみて「えーこれだけー?」というのが正直な感想。なんて薄っぺらい一年だったんだ。

今年はもう少し色々書けるようにしたい。