名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

「男性と女性がひとつのもの」となる時が来たとしたら

エマ・ワトソンのHeForShe国連演説と弱者男性論について(CDBさんVS青識亜論 +借金玉さん) - Togetterまとめ

上記リンクに触発されて、もう一度エマ・ワトソンの演説の全文を読んでみた。前に一度読んだことはあるんだけど、内容あんまり覚えてなかったし。

エマ・ワトソンがフェミニズムについて国連スピーチで語る - ログミー

エマさんは「男性が弱くてもいい」って言うんだけど、「本当に男性は弱くてもいいの?」という疑問が湧くのはもっともなことだと思う。




単純な、生物的な機能としての話だけど、女性は「子どもを産める生き物」で、男性は「子どもを産めない生き物」です。

これは、いくらエマさんが

男性と女性というジェンダーを2つの全く異なった両極端のものであるという考え方から自由になり、男性と女性をひとつのものとして考えるのです。

と訴えかけようと、ひっくり返しようのない事実です。いくら「男性と女性をひとつのもの」として考えたって、僕ら男は子どもを産めるようにはならない。エマさんの主張を真っ向から否定するようでアレですが、男と女は同じではないんです。

女性が「子どもを産む」機能を発揮することで役割を果たすならば、男性の役割とは何かと言えば、その「強さ」という機能を発揮することで「子どもとお母さんを守る」という役割を果たすわけです。こんなことを書くと「差別主義者」とか言われそうですけどね。

では、エマさんの言うように「男は弱くてもいい」が一般化した時、男はどんな役割を果たせばいいんでしょうか。

女性も弱い、男性も弱いではさすがに問題あるでしょうから、「弱い男性」と「強い女性」がペアリングした場合としますが、その中で男性は一体どんな役割を果たすのか。

僕は自分で自分のことを「弱い」と思っていますから、このケースの「弱い男性」の気持ちがよくわかる気がします。

彼はおそらくこう思うんじゃないだろうか。

「俺って、必要ないんじゃないだろうか」

って。

子どもを産めもしない、家族を守る強さもない。こんなごく潰しは必要ないじゃないか。だって「役割を果たすことができない」のだから。

僕は「弱い」けど、家族の中で自分の役割を果たすために、「強くありたい」とは思っています。

それをエマさんは「「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプに囚われている」と言うのかもしれませんが、そうは言っても、僕が子どもを産めない以上、強くなる以外の選択肢を僕の立場では持てません。



もちろん、「役割を果たせなくても、いいんだ」とは思います。

だけど、「役割を果たせなくて、つらいんだ」という気持ちを否定するのは違うと思います。

そういう人に対して、「つらいなんて思わなくていい」と言うのは自由だし、僕もきっとそう言うと思います。けど「つらいと思うのは間違いだ」と気持ちが存在すること自体を否定されるのは、言われる本人にとってはまたつらいことです。

そういう気持ちを具体的にどう救っていくかはすごく難しい問題で、それに踏み込まずに「みんな違って、みんないい」と唱えるだけでは、結局、綺麗事の域を出てないと言わざるを得ません。

臆面もなく綺麗事を言うのは、実は大変なことだと思います。けど、綺麗事では救えない人も数多くいます。これも当たり前のことです。




もしエマさんの言うような「男性と女性がひとつのもの」となる時が来たとしたらそれは、「男性が子どもを産めるようになる」か「女性が子どもを産まなくなる」かどちらかじゃないかと思ったりもします。性別が意味をなさなくなる、というか。

人類が「セックス」を必要としなくなる時、男と女は本当の意味で「ひとつのもの」になるんだと思います。そういう世界が到来した時、また新たな「違い」が人類を分類するのかもしれません。それが人にとって幸せな未来なのかも、僕にはわかりません。