名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

昨日の話

「男性と女性がひとつのもの」となる時が来たとしたら - 名前のない日記

昨日の話を現実的な話に落とすと、要するに「奥さんが産前休暇→育児休暇に入る時も『僕は生活能力ないんで毎月5、6万しか家に入れられませーん』は男としてどうなの? 女性の皆さん、そういう男性をパートナーとして選びたいと思います?」みたいな話なんだよな。いやそこは奥さんが動けない時は旦那が頑張れよとか、女性としては言いたくなりませんか? という。

そういう男性のムーブを容認するということは、女性側が男性分の生活能力を肩代わりしなきゃならんということなんですよね。まぁ、そういう女性も世の中にはいらっしゃるんでしょうけど、現実的には非常に考えにくいですね。

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上の議論の中で「人間としての尊重と、パートナーとして選ぶかどうかは話が別」みたいな発言も見られましたが、エマさんの言う“「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプ”という社会の雰囲気を醸成する要因の一つとして「多くの女性が好む男性像」がある以上、それを無視するのは不合理だと俺は思うわけです。

男性は確実に「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプに囚われています。彼らがそこから自由になれば、自然と女性も性のステレオタイプから自由になることが出来るのです。

要するに、男性は好き好んでステレオタイプに囚われているわけではなく、女性が「こういう男性であってほしい」と望むから、という側面が多分にあるわけで、エマさんが真に「社会全体が、男性と女性というジェンダーを2つの全く異なった両極端のものであるという考え方から自由になり、男性と女性をひとつのものとして考える」という目標を達成しようと思ったなら、女性側にも「ステレオタイプからの脱却」を訴えなかったのは明らかに片手落ちで、それは多くの人が指摘する通りだと思います。