名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

自分を大切にするからこそ、他人にも優しくできるんだ。

昨日に引き続き例のCMの話。

ちょっと前に「男も男らしさから降りていい」というエマワトソンさんの演説がtwitterで話題になってたけど、このCMのお父さんが背負ってるのは「従来の男らしさ」と「新しい時代の男らしさ」なんですよね。仕事はやりつつ、家のこともやれ。お母さんが「従来の男の役割=仕事」の一部を背負わざるを得なくなったこととのトレードオフ

自分もそういう毎日を生きてて、時々ふっと「魔がさしてしまう」瞬間があるのは非常によくわかる。ダブルタスクに引き裂かれて、後から考えると間違った選択肢を選んでしまった。そういうこともないとは言わない。

だけど、やっぱり人間って「そういう風に出来ている」もの。「間違うように出来ている」ものなんですよ。誰でも何かを間違える。魔がさしてしまう。行っちゃいけない方に行ってしまう。自分もそうだし、家族もそれは同じ。家族だって完ぺきではないのだから、時に間違える。疲れてしまう。やらなければいけないことを放棄してしまう。

こういう時に大事なのって、そういう「正しくない自分」を許してやることだと、俺は思います。「正しくない自分を許す」ということは、ひいては「正しくない相手を許す」ということ。間違いを受容することって、優しさを持つことじゃないですか。自分を大切にするからこそ、他人にも優しくできるんだ。次元が言ったことは真理だと俺は思うんですよ。

そういう「自分と他人に向ける優しさ」がなければ、自分以外の他人と、家族として暮らしていくことは結構難しいんじゃないでしょうか。情けない自分を許せずに自分で自分を傷つけ続けるか、他人の間違いにいつも苛立ち、喉元にナイフを突きつけ続けるか。どちらに転んでも、そんな生活は長くは続けられない。

このCMのお父さんに向けられる視線を見てると、そういうことを考えてしまうんですよね。自分の間違いを許す「優しさ」がないから、他人に対する「優しさ」なんて持てない。そういう「優しくない」雰囲気が社会を覆っているんじゃないか、という気になってしまう。ネットの嫌な部分ですね。

従来の男らしさにプラスアルファを求められだした男性に、従来の女性らしさにプラスアルファを求められだした女性。そういう諸々がみんなの余裕を奪っているのかもしれない。「だったら昔のような分業に戻ればいいじゃないか」という意見もあるんだけど、時計の針は戻せない、とも僕は思ってしまう。

結局のところ自分を許せるのが自分しかいない以上、誰もが自分自身に「優しく」なるしかないんだと思う。だけど、これからさらに社会は余裕を失くしていく中、「優しく」なんて無理なのかもしれない。 自分や家族にすら「優しく」なれないのなら、それはもう本当にどうしようもない。もう一度「個」に戻り、万人が万人に対する闘争を始めるしかない。そういう絶望すらある。

だけど、優しくなりたい。強くなりたい。家族のために、自分のために。愛なき時代に生まれたわけではないのだから。

やさしくなりたい

やさしくなりたい