名前のない日記

俺の俺による俺のための憑き物落としをしています。

めぐり会える人、会えない人

ようやく「君の名は」を見た。俺はいつも流行に乗り遅れる傾向にある。

奇跡的な二人の出会い、そして別れ。大切な誰かの記憶を失って、それでも忘れられずに東京をさまよう。そこには桜が舞っていて……

ってこれ「秒速」やないか。

やっぱり思っちゃうんですよねぇ。

ご存じの通り「君の名は」は、再び巡り合える。「秒速」は出会えない。

「君の名は」は、相手のことを忘れてしまっている。だけど、心の奥底では忘れていない。記憶がないだけで、相手のことは今も「現在」のど真ん中。だからこそ、瀧は誰とも知れない相手に声をかけられる。

「秒速」は、相手のことを忘れてしまっているわけではない。だけど、相手のことはもう既に「過去」のこと。発酵し腐り落ちそうな思い出を未練たらしく抱え続けても、貴樹にとって彼女はもう「過ぎ去ってしまってもうない」。だから貴樹は、ふとすれ違った「あの人」かもしれない相手に声まではかけられない。

映画として、そこまでに辿ったストーリーは違えど、全く同じシチュエーションを作り出し、全く違う結論を導き出しているんですよね。「秒速」と「君の名は」。相似で、裏返し。

忘れてしまった相手を思い続ける「強さ」。忘れることも出来ずに記憶の底にこびりついた相手を思い続ける「弱さ」。

僕は「強さ」よりも「弱さ」に共感する傾向が強いらしく、どちらが心に残るかと聞かれれば、答えるまでもないって感じなんだけど。それでも、最後に二人を「めぐり合わせた」この決断はすごいな、と思わずにはいられない。

正直言って、会わせない判断は十分アリだったと思うんですよ。色んなギミックを総動員して、精一杯の美しさで彩って、「それぞれに生きていく」、そういう結末を描くことだって出来たはずなんです。 だけど、製作陣はその結末を選ばなかった。最後にあのセリフを二人に呟かせた。

「秒速」では出会えなかった二人が、「君の名は」とつぶやくことで「巡り合えた」。

その結末を描くには、ものすごく腕力と覚悟が必要で、「秒速」から何年経ったかわかんないんですけど、その長い時間の中で、新海監督はその腕力と覚悟を培ってきたんだな、と。「秒速」に感銘を受けた気持ち悪い人間の一人として、それを何か温かいもののように感じてしまうわけです。